横浜中華街に受け継がれる、旧正月の伝統を祝う
更新日:2025年2月28日

「新年快乐」(シン ニエン クアイ ル)! これは中国の旧正月でよく耳にする挨拶です。春節とも呼ばれる旧正月は、1月21日から2月20日までの期間の新月から始まる15日間のお祭りのことです。広東省や香港では、「恭喜發財」(広東語の発音はクン ヘイ ファー チョイ)という挨拶が聞かれるでしょう。というのも、中国の国土はヨーロッパとほぼ同じ大きさで、そこにはヨーロッパと同じくらい多様な人々が暮らしていると知られており、この多様性から、横浜中華街はよく「中国の縮図」といわれます。横浜中華街は単なる在日中国人が暮らす飛び地ではなく、この港町の国際的な歴史において不可欠な存在となっています。そこは、160年以上にわたって中国と日本、そして西洋の文化が共存してきた場所だからです。横浜中華街で日本第二の人口を誇る都市・横浜のユニークな精神を学び、1986年から続く旧正月のイベントで新年を祝いながら、素晴らしい料理を楽しんでみませんか。
横浜中華街: 協力と復興の物語
1859年に横浜港が開港すると、欧米からの貿易商に同行した中国人移民は富を求めて日本へと向かいました。英語の知識があり、漢字を使って日本人とコミュニケーションを取ることができた中国人たちは通訳として活躍し、その後の横浜の成長と発展に大きく貢献しました。1912年までには、1,000人以上の商人や大工、芸術家、裁縫師などが横浜に住んでいました。
移民たちは、西洋風や日本風の家を建て、ヨーロッパ風の肖像画を描く一方で、先祖から受け継いだ文化を守り続けました。1871年、中華街に関聖帝君を祀る横浜関帝廟が建てられました。2006年には、清国領事館の跡地に天上聖母・媽祖を祀る寺院が開かれました。現在、この媽祖廟は色鮮やかな中華街のランドマークになっており、華やかな赤やきらめく金、深い黒の装飾で道行く人を魅了しています。そして、賑やかな横浜の喧騒から離れたこの廟は、地元の人々が祈りを捧げ、安らぎを得る場所となっています。
悲しいことに、横浜中華街の大部分は1923年の関東大震災と第二次世界大戦の空襲によって壊滅的な被害を受けました。しかし、それらを耐え忍んだこの地域は再建され、そして復興したのです。1955年には、より多くの観光客を迎えるために横浜中華街を象徴する最初の門、「善隣門」(中国と日本の友好を象徴する「よき隣人」の意)が建てられました。横浜中華街を訪れる観光客の95パーセントが中国国外から来ていることから、その効果はあったように思われます。
過去と未来をつなぐ横浜中華街の文化
春節のパレードは中国の伝統芸能を間近で見られる絶好の機会です。それは、悪霊を追い払うための爆竹による煙と、ものすごい爆音とともに幕を開けます。続いて、二胡の演奏や着飾ったパフォーマーによる美しい扇の舞、流星錘(おもりと鎖を組み合わせた武器)の実演、壺を使ったジャグリング、そして伝統衣装に身を包んだ人たちの行列など、中国の多様な伝統を紹介する魅惑的なパレードが披露されます。なかでも、横浜中華街のパレードで一番の人気を誇るのは、動物たちの踊りです。
特に獅子舞からは目を離せません。獅子装束を身にまとったアーティストが獅子のように練り歩くだけでなく、中国伝統楽器の音楽に合わせて流れるような動きで踊りながら、ダイナミックなアクロバットを披露します。パフォーマーたちによる一糸乱れぬリズムや、互いの肩に飛び乗って宙に舞い上がる姿は、着ぐるみを着た人間ではなく神話に登場する堂々たる獣を見ている気分にさせられます。
同様に、巨大なドラゴンが複雑にうねるパフォーマンスでは、まるで本物のドラゴンが空を飛んでいるような動きで観客を魅了し、観客の視線からは人形遣いの姿が消えてしまうほどの臨場感でした。横浜中華街で行われた「春節燈花(イルミネーション)」では温室効果ガスを削減して気候変動を抑制するため、再生可能エネルギーが使用され、媽祖廟で「元宵節燈籠祭」が開催されています。
横浜中華街に息づく多文化共生の精神
横浜中華街が目指すのは、協調と多文化共生の精神で横浜の素晴らしさを体現する玄関口となることです。横浜中華街は、設立以来、地元の人々や来訪者の協力も得ながら、こうした目標達成のためのスキルを磨き、成長・繁栄してきました。礼儀正しいおもてなしにより来訪者の満足を得て、多様な文化や国籍の人々を惹きつけてきました。それらが中華街のさらなる向上や成長、発展を後押ししています。さらに、このエリアには多数のレストランが集中していることから、健全な競争が生まれると同時に伝統に根ざした創造性が求められています。こうして、横浜中華街を特徴づけている、異文化の素晴らしい融合を体験することができるのです。
商業活動やイベント、会合などを円滑に行っているのは、飲食店や商店などの地元企業で構成される「横浜中華街発展会」です。そして、それによって中華街は開かれた街であり続け発展してきたのです。中華街の現在と過去は彼らによって守られており、一方で2つの教育施設によって未来が育まれています。日本人の生徒も通う横浜中華学院と横浜山手中華学校では、中華街の国際的な精神の下、全員が中国語と日本語、そして英語を学んでいます。
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